小川村法蔵寺に伝わる昔話

法蔵寺の猫
むかし昔、法蔵寺に一ぴきの猫が飼われていた。
それは祝安和尚の代とも、崇董和尚の代とも言い伝えられていて異説が多い。
とに角、その猫がバケて檀家(だんか)をふやしたという伝説である。

和尚(おしょう)が寝るときにかけておいた法衣(ほうい)が朝みると、何時も落ちていることに気がついた。
そして、それが猫の仕業であることがわかったので、和尚はそれとなく猫のようすを注意していると、ある晩猫は和尚の法衣を何時ものように掛けておいて、一足先に天神様へこっそり行き、松の木の上にのぼってみていると、猫だけではない。
鳥も兎(うさぎ)も鹿(しか)も色々の動物がぞくぞくと集まってくるではないか。

天神様の庭いっぱい集った動物の前で、猫は和尚の法衣をつけて説教(せっきょう)をはじめた。
それは和尚が日頃やっている説教そのものであった。
猫のみごとな説教はえんえんとつづき、猫の得意が絶頂に達したところ、東の空が白々と明けはじめて、動物たちは森の中へ帰っていき、猫も知らん顔をして寺に帰った。

翌日、和尚は猫に向かって、「昨夜の説教はだいぶ上出来だったのう」というと、「さては和尚に昨夜のことをしられたか」と知ると、猫はやにわに和尚めがけてとびかかってきた。
そこで和尚は「猫よ、お前があれ位の説教をしたとて、私に代って立つのはまだ早い。
もし何か名を残したいなら、何か寺のためになる事をして死ね。
今、私をかみころして、かわろうとするのは、まだ修業(しゅうぎょう)が足りないぞ。
浅知恵じぁ。」というと猫は首をうなだれて、しおしおと寺を出て何所へともなく行ってしまって、その後猫は姿を見せなかった。

それから年月が流れ、ある年のこと、安曇郡(あずみぐん)千見村(せんみむら)の郷土条角平衛の母が年老いて死んだ。
下条家は近くの寺に依頼して葬儀を行なうことになった。郷土下条家の葬儀であるから、その地方としては盛大なものであった。

さて某寺の僧が引導をわたすというときになると、一天にわかにかき曇り、死体を入れた棺(ひつぎ)が、黒雲の中からあらわれた鬼に引き上げられてはおろされ、また引き上げられては地上におろされるなど、引導どころのさわぎではない、某寺の僧の法力ではこの奇怪(きかい)の出来事を治める事が出来なかった。

一番困ったのは下条家である。
死人を何時までも葬らないで置くわけにもならず、親類一族相談の結果、これは名僧の法力にたよるしかない、ということになった。
そこで当時名僧の風聞の高かった法蔵寺へ引導を頼んだ。

法蔵寺の住職の引導をする日になったところ、何の不思議の事も起らず、無事に葬儀一式の行事をすますことができた。

下条家の喜びは尋常(じんじょう)ではない。
一族をはじめ千見村の人達は総べて法蔵寺の檀徒(だんと)になることになった。
この申し入れをするために人達が法蔵寺へ来た。
その時である。
千見村の上空から矢のように早く飛んできたものが、寺の本堂に入って、はたと止った。
それは、おどろいたことに、以前天神様で説教をしたあの猫の死骸(しがい)であったのである。

猫は、天神様の庭での説教を和尚に見やぶられた事件があってから寺を離れ、千見村下条家の怪事をなし、千見村を法蔵寺の檀徒にして死んだのであろう。
このことから「千見の猫檀那」と伝えられ、猫の伝説と共に猫の採ってきた檀徒であると今も信じられている。

それから法蔵寺は猫寺として有名になったのである。
今でも境内には猫を葬ったという「猫家」が残されているし、猫が説教したときに着たという法衣も所蔵されている。
出典:小川村誌[昭和50年(1975)10月15日発行]

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